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MOTIFS 01 / ミッシングリンク

技能継承では、継げないものがある

舘野 勉 / handanbase ・ 読了 約3分

技能継承と言うとき、たいてい継げているのは手順だ。作業の順番、道具の使い方、数値の基準。だが、その手順の隙間に、どうやっても継げない一片が挟まっている。それを継がないまま、私たちは「継承した」と思い込む。

引き継ぎをする側に立ったとき、それに気づいた。手順は全部渡した。マニュアルも読ませた。なのに相手は、全体像を掴めずにいる。だから私は、同じ流れをもう一度、違う言葉で言い直し始める。「あ、それはこういう意味で」「それは別の案件のときの話で」——言い直しているうちに、手順書のどこにも書かなかった話が、次々と自分の口から出てくる。引き継ぎのはずが、いつのまにか教育の時間に変わっている。

そして、もっと妙なことに気づく。この光景を、私は逆の側からも知っている。かつて引き継がれる側だったとき、私も言われた通りに手を動かして、それでも全体が見えなかった。前任者に問い返すたび、資料のどこにもなかった話が返ってきた。あのとき前任者が口ごもりながら足していたものと、いま私が言い直しながら足しているものは、同じだ。継ぐ側でも、継がれる側でも、私たちは同じ一片の前で立ち止まっている。

この、言い直しのなかでようやく姿を現すもの。それが継承のミッシングリンクだ。ただし、生物学でいうミッシングリンクとは向きが逆になる。あちらは、化石の連なりのどこかが「まだ見つかっていない」——欠けている環のことだ。だが継承のミッシングリンクは、欠けてなどいない。継ぐ側のなかに、ずっと在る。毎日使われている。ただ、鎖に繋ぐ方法がなかっただけだ。本人が「自分は考えている」とすら思っていないから、言葉にならず、手順書に書かれず、渡されないまま元の場所に残り続ける。

その環に、名前をつけられる。判断だ。どこで違和感を持ち、何を捨て、なぜその順で決めたか。手順書には「何をするか」が書ける。だが「なぜそうするか」「なぜ今それを選ぶか」は、書かれないまま本人のなかで働き続ける。継承できないのは、知識ではない。判断だ。

なぜ、判断だけが繋がらないのか。手順は、すでに言葉になっている。言葉になっているから、書き出せる。書き出せるから、鎖に繋げる。判断は違う。言葉になる前の状態で働いていて、本人のなかでは一瞬で済んでいる。だから、繋ごうとしても掴む取っ手がない。「継承した」と思うとき、実際に渡っているのは手順の鎖だけだ。判断の環は、いつも元の人のなかに残る。

だとすれば、必要なのは記録ではない。繋ぐことだ。ミッシングリンクは、探して見つけるものではない。もともと在るのだから。問題は、言葉にならないまま働いている判断を、どうやって取り出し、別の人のなかでもう一度動く形に繋ぎ直すか——移植だ。その繋ぎ方については、これから一片ずつ書いていく。継げないと思われていたものが、どこまで継げるのか。まずは、そこに一片があると気づくところから。

この断片は、体系「相互性」と地続きになっている。

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